看取りステーション埼玉
日本看取り士会 埼玉研修室

看取り士になるまでの経緯

幼少の頃から祖父母や親戚が相次いで亡くなり死に際に立ち会うことが多く、人の最期に関心の強い子供でした。


看護師の資格を取り病院、施設で働いていく中、臨終に立ち会うと、迅速に身を整えて周りに触れないように迅速に霊安室に運び、まるで死は忌み嫌うものなのだと。

ご家族の死の別れの時間もままならない対応にこれでいいのかといつも自問自答の繰り返しでした。


転機が訪れたのが、10年前に父親が急死し発見時既に冷たくなった後に対面。

その4か月後母が進行性の肝臓癌が見つかり2年の闘病の末最後、死を悟った母が病室で「家に帰りたい」と初めて号泣しながら気持ちを吐露したのを受けて、2週間の余命告知を機に、自宅に連れて帰りました。

退院して3日後、10月の長雨の中夕方に偶然雨がやみ、薄れていく意識の中、家族や親戚の手を借りて庭にリクライニング車椅子で出て、気にかけていた、柿の実を握り、波音を流し聞かせながら。

ちょうど一番星が出た時に息を引き取りました。親戚が車椅子を囲みながらの世間話したり、温かな在宅看取りが出来ました。


ただ、看取るまでは、痛みに悶えたり吐血して血だらけの母親を1人で夜間側でみていた心細さと亡くなり間もなく、喪主となり…気持ちを吐き出したり切り替えが出来ないままお葬式やその後がむしゃらに生きてきました。

7回忌が過ぎて気持ちも落ちついて来た頃、ふと「みとり」という言葉が浮かび降ってきました。”みとり”という言葉をネット検索した時に偶然、「みとりし」の映画や看取り学の存在を知りました。
これだ!!と思い、みとりしの映画のDVDを購入、看取り学を受講しました。


学んでいく中、死は命のバトンタッチ。家族以外にも、旅立つ本人と送り出す家族を暖かく見守り受け止めてくださる存在。


私も母の看取りの際に、看取り士の存在知っていればその後の喪失感等違ったのかもと思ったりしました。


そういった経験も踏まえて、人生の卒業式が暖かく愛されて旅立つことが出来るように整え携える素敵な、看取り士の役割が広く知られ浸透していく世の中になりますように。

看取り士 飯山広子

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