私が看取り士というものに惹かれたのは‥‥
その時は急にやってきます。いざという時のために看取りを知っておくことをおすすめします。
私は、3番目の子供を妊娠37週に死産で亡くしました。突然のことでした…。
その子を出産直後には抱かせてもらえましたが、次には棺に入れられて葬儀屋さんに連れて行かれてしまいました。
もう抱かせてもらえませんでした。
退院して火葬場に行った時にも触れる事も出来ませんでした。
私は何度も触れたい、抱きたいと思っていたのですが、その時は常識外れなのかもしれないと思い、その気持ちをずっと隠していました。
しかし2019年に朝日新聞に連載された柴田久美子会長の連載を読んで、抱いて看取るということを知りました。
私は知らなかったばかりに医療者や葬儀社のいう通りにしてしまったけれど、抱いていたかっ たらそうしたいと言えばよかったんだ、死んだ子を抱きたいという感情をもってもいいんだと初めて知りました。

そして私は看護師だけれど「あなたの死生観は?」と聞かれても答えられないことに気づきました。
これまでは医療現場や慣習などから、死は敗北・忌み嫌われるものとどこかで思っていて看取りを積極的に知ろうと思ったことはありませんでした。死後は葬儀社の言う通りにするしかないと思っていました。
看取りを学んでからは、死について考えることは縁起でもないということはないこと、死を知ることは生きることを考えること、死は生まれると同じように大切にあたたかく優しく迎えていいこと、死を考えることで今いることは感謝でいっぱいなのだと知りました。
今はもっと一般常識として学ぶべきことだと思っています。
看取り士は最後の時に寄り添う人

看取り士は、ただその人のことを大切に寄り添うことを大切にしています。
突然のことに、私も死産の時には医療廃棄物としてごみになってしまうのかとか、産むための処置は急がれる中にも不安は解決されずに一人になると泣いてばかりいました。
でもその時、私に長い時間寄り添ってくれた医師がいました。 その医師は自分からは何も語りませんでしたが、ただそばに座っていました。ポツリ、ポツリと私が話し出すと的確にやさしく答えてくれました。
無事に産んであげられなかった自分でも寄り添ってくれる人がいたことで、すごく安心したのを覚えています。
その医師は、これでいいんだよと思わせてくれる存在 だったのだと思います。
医師は死生観を大切にできる人だったのだと思います。

看取り士って何をする人かと聞いて、絶対に必要だよねと思う人は多くないかもしれません。
しかし看取りをあまり経験してい ない世代が急に身近な人の死に向き合う時には、こういう専門職があってもいいと思います。
私は自分が死産してしまった時に、看取り士が病院にいて欲しかったと思っています。
大切な人を大切に見送るために、急な時にも対応できます
看取り方は、病院に任せる、施設に任せるでもいいと思います。その方やご家族がその人らしく、犠牲 になったりしないで過ごすことができれば。

ただし、中には後悔される方がいます。
看取り士は大切なかたが余命宣告をされたらご相談ください。
例えば、余命がわずかと言われても面会もままならない今の ような時には、それからでも自宅に連れて帰ることができます。
自宅で介護は難しいと言う方でも、少し の間なら支援があればご家族の皆さんでも後悔なく手をかけてあげられるかもしれません。そんな時に看取り士を調整役としてお呼びください。
私のように死産の場合や事故で大切な人を亡くしてしまった場合にも対応することができます。
いざという時のために看取りを考えておきましょう。
看取り士になるための看取り学講座の他に「カフェ看取りーと」や「家族のための看取り勉強会」も開催しております。全国どこのステーション・研修室でも同じ内容で開催されておりますのでご利用ください。