看取りステーション埼玉
日本看取り士会 埼玉研修室

私が看取り士になった理由

何事もそうかもしれませんが、私が看取り士になった理由は、単純な一つのきっかけがあったからではなく、今まで経験してきたこと全てが、組み合わさった結果、今に至ったというほかありません。

たくさんの小さな理由はたくさんあるのですが、エピソードのひとつをあげると、アメリカで訪問ケアの仕事をしている時の101歳の患者さんとの出会いがあります。

その方は、第二次世界大戦を生き延びた方で、アメリカ側からみた世界大戦中の視点を教えてくれました。戦後はビジネスマンとして、不動産会社を経営し、湖のほとりの大きなお屋敷に住んでいらっしゃいました。

たくさんお話をしました。

祖父母はドイツからアメリカに来たこと、

日本と戦争していたので、今でも日本人の男性をみると軍隊のイメージが思い出されること、

ウォール・ストリートジャーナルの読み方から、カレッジフットボール、世界中いろいろ旅行した話、朝のミーティングは飛行機に乗ってすると言う話、人生哲学などいろいろと教えていただきました。

酸素吸入、尿路カテーテルが入り、ペースメーカーも入っていましたが、最後まで、威厳を持って、自分で全てを決めて旅立たれました。

命を全うする生き方を教えてくださいました。

英語にハンデのある外国人にもかかわらず、私を信頼してくれて、息子夫婦が海外旅行に行く時、施設に短期入所する際、施設の人が24時間看てくれるのもかかわらず、私に訪問を依頼し、その期間は施設にケアに行くほどでした。

他の人を信頼していないと言うわけではないんだ、でもあんたに来て欲しいんだとおっしゃいました。自分の旅立ちが見えてきた時に、誰にそばにいて欲しいかをはっきりとご自分で決めておられました。

その方が旅立ちの時に、その日は雨が降っていて、訪問するとすぐに、お嫁さんが、もう死にそうよと私に言いました。目はもう見えず、閉じられていて、そばに駆け寄り、手を握って、Keikoが来たよと言うと、私の手を口元に持っていき、キスをしてくれました。
ありがとう、さようならのキスだったと思っています。

訪問は時間が決まっていたので、息を引き取る瞬間はついてあげられませんでしたが、息子さんが仕事から帰ってきて、私の代わりに手を握ってあげられたので幸せな旅立ちができたと思います。

その方が亡くなって、その方の身体はありませんが、私は毎日その方とお話をしています。

こういうことを言うと、信じられない人が多いかもしれませんが、私はその方の命のバトンを受け取ったので、その方は私の中に存在しているのです。何かあったら、いつでもアドバイスをくれるし、見守っていてくれます。

亡くなった時は、涙が止まりませんでしたが、2週間経って、ミシシッピ川のそばのその方の生まれた街にも行ってみました。

その方が湖のほとりに家を構えた理由は、ミシシッピ川のほとりで生まれて、カエルの声を聞いていたからだというお話を生前聞いていたので、亡くなった後に、絶対に行かなきゃいけない場所と心に決めていました。

生前は、他の大多数のアメリカ人がそうするように、1日ベッドで過ごすことはなく、歩けた時には、歩行器を使い、歩けなくなったら車椅子で、リビングに出てきて、リビングチェアで1日を過ごします。

動くのもやっとなので、リビングチェアに座ったら、お通じ以外はずっとそこで1日を過ごします。

夏にはカエルの鳴き声が聞こえてきて、ミシシッピ川のほとりで過ごした子供時代のことを思い出していたのでしょう。

目を閉じてカエルの声を聞いていました。今でも目を閉じると、リビングにその方が座っていて、隣に私が座り、食事を作って介助し、薬を飲んでいただき、バイタルサインを測ったりしていた空間が鮮やかに蘇ります。

もともと、日本にいた時に、訪問看護の仕事が好きだったので、9年ぶりに日本に帰国し、また訪問看護の仕事をしたいと思っていました。2週間の自宅隔離中に、たまたま新聞で看取り士の記事を読み、まさにこれが自分のやりたかったことだと心が震えました。

それが、看取り士になった理由の一つです。

人は誰でも肉体の死が来ます。

でも、その人が生まれて、生きてきた中で蓄えてきたエネルギーは、肉体の滅びた後にどこに行くのでしょうか?

傍にいる誰かにその命のバトンを渡して旅立つという看取り士会の考えに深く共鳴いたしました。

人は何で生まれてきたのか?

命のバトンを次の人に受け渡すために生まれてきたのです。

そう考えると、自分が生きている意味がわかると思います。

看取りステーション
埼玉
所長 栗山恵子

2000年 看護師免許取得
埼玉大学経済学部経済学科卒業
国際医療福祉大学大学院保健医療学修士号取得
Foundation for Assisting in Home Care by The State University of New York on Coursera 修了

10年間日本の病院、訪問看護ステーション、デイサービスなどで勤務する。イギリスのロンドンにて在宅ケアの仕事を1年、夫の海外赴任に伴いアメリカに9年暮らす。アメリカで訪問ケアの会社に就職し、1年半在宅ケアの仕事をする。
2021年6月帰国し現在に至る。

著書:駐在妻が働いて”看た”アメリカ: JUST DO IT!

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